collection of works
Publication January- 2023
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エリトリア 浅田トモシゲ B5判64頁
エチオピアとの30年にもおよぶ戦いの後、93年春に独立したアフリカの小国エリトリア。
その後も2018年の和平成立まで国境紛争の続く中、
2006年の夏、私はエリトリアの地に降り立った。
イタリアの植民地でもあったエリトリアの街並みは古き良きヨーロッパを思わせていて、
独特の淹れ方をするエスプレッソをポップコーンとともに振る舞うのが
客人に対する一番のおもてなしだということだった。
乾いた大地のあちこちには、かつてこの地に移住してきた
イタリア人によって植えられたサボテンが現在も植生していて
子供たちはその実を収穫し、道端などで売って家計を助けている。
「インジャラ」と呼ばれるエリトリアや周辺の国々の主食は
酸味の強いピザ生地のようなものを、
スパイスのきいた羊のモツや野菜などをつけあわせに食すのだが、
癖が強くて私の口には合わなかった。
植民地時代の面影と、アフリカの大陸的な風景が共存し、
長い紛争から復興途上のけっして裕福とはいえない生活のなかで
子どもたちの瞳は、希望と平和な未来に向けて輝いていた。
ステートメントより
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Red Photography2023 Red制作委員会 48頁カラーA4無線綴じ
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New York1991 ハヤシシゲミツ A4判40頁
1991年夏、ロングアイランド大学でひらかれたマスターフォト ワークショップに参 加するために ニューヨークを訪れた。マ ンハッタンに一週間ほど滞在していた時に撮影したものを写 真集にまとめました。初めての海外旅行ということに加えニュ ーヨークの街は見 るもの全てが魅力的で 興味のある対象を見 つけるとシャッターを切った。特にカメラを持った私に現地の 子どもたちは興味津々で 自らポーズをしてくれたり笑顔を作 ったりしてくれたのはいい思い出として残ってい る。
ホームレスにもよく声をかけられた。 食事をして飲食 店から一歩外に出ると必ずといっていいほどホームレスがつい て来 る。 釣り銭の小銭をめぐんでくれというのだ。小銭を渡 すと側で見ていた別のホームレ ス が次から次に近寄ってくる。あいつにやったんだったら俺にも くれよという。 ひどい時は5、6人に後をついて歩かれたこと もあった。 その年のアメリカは湾岸戦争の影響下で職を失っ た人が溢れている時期で、 日米貿易摩擦という言葉 があったように日本人の旅行者は好意的には見られてはいな かったと思う。 マンハッタンでの体験を簡単にまとめれば アベニューを 歩けば華やかなで、ストリートを歩けばそこに暮らす人々の生活感を 知ることができた。少し危険な気配も楽しみな がら撮影できたのは貴重な経験になったと思う。
長年押し入れの中に眠っていたネガからセレクトされた37枚の 写真。これらの写真を改めて眺めていると 滞在の最終日に行 動をともにしていた韓国人の玄さんとハードロックカフェで一杯 やりながら彼がリクエストした曲、レッドツェッペリンの天国 への階段が脳裏に蘇るのであった。
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MELOS 竹内彩乃
日常という不可解な世界。 MELOSというタイトルは走れメロスから引用したと竹内さんはいう。 肉体の限界、心の葛藤、障害を乗り越えて王様との理不尽な約束を果たした メロス。人間としての誠実さ強さを象徴するかのようなメロスだが 彼女からみたメロスは案外弱い一面を持つことに着目するのだという。 内面から湧き上がる自分自身が抱くイメージを一冊のzineとしてまとめています。 完全手作りで完成していた4冊は立ち上げイベントで早々完売。 次回の大阪展ではタイトルはそのままに内容を変更して制作されるとの事だ。momentに参加する作家の中で
最年少21歳の作品に注目したい。
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釜ヶ崎ポートレイト 細見大悟 A5判40頁
バンドメイトから1本の電話メッセージ、 「次のライブは三角公園、アメ村とちがうよ。釡ヶ崎。最寄りの駅は新今宮やで」 1995年の冬だった。
私は幾度となくこの街に通い演奏してきた。 音楽を通してミュージシャンや詩人、画家、映画監督などのアーティストだけでな く、
三角公園や難波屋に来ている人とも知り合い、よく話を聞かせてもらった。 そして、ライブ後飲み明かした。 とても人間味溢れる人たち、人間の強さと弱さを併せ持った激しい生き方をしてい る 人も多かった。釡ヶ崎は、マスコミだは「危ない」「怖い街」とよく言われている が
私は「やさしい街」だと思う。 それは、このまちで知り合った人たちが教えてくれた。 私は、そのように音楽を通して経験した釡ヶ崎を、知り合った人たちを写真に撮っ てきた。 ここに写っている人たちは、三角公園や難波屋でよく会う、よく知っている人たち である。
作者キャプションより抜粋